ゲームの遊び心を
テクノロジーへ

YASUHARU SUZUKI

ソフトウェアエンジニア
2014年度キャリア入社

鈴木さんはゲーム業界出身ですよね?

はい。レキサスに入ってまだ一年ですが、それまではずっとゲーム業界一筋でした。小学2年生の時にファミコンを買ってもらったんですが、僕はゲームをやるときに「難易度をこう調整したら他の人に遊んでもらいやすいんじゃないか?」というような視点も持ちながら遊んでいたんですね。

例えばレースゲームで、ここにU字スピンを置いたほうがいいんじゃないかとか、ここにS字カーブを置いたらどうだろうとか、ここに高低差をつけたら面白いんじゃないかとか。そういうことを考えながらプレイする人はたぶん珍しいと思います(笑)。子どもの頃の野球選手になる夢は叶いそうになかったのですが、ゲームのプログラマにはなれそうだという確信はありました。

当時、筑波大学の情報学部に進学することを考えていたのですが、そこに行ったからといってゲーム業界に入れるかというと全然確証がなかったので、ゲーム科がある専門学校を探すことにしました。そうして東京の専門学校に進学して、先生が作れないゲームアプリを僕が作ったりしながら実力を示していった感じです。

卒業後は個人的な事情で北海道にいかなければならなかったので、ゲームを開発している札幌の企業に入社しました。その会社で15年働いて、そのあと起業して自分の会社を作り、その後1年経ったタイミングで縁があってレキサスに来ました。いわゆるIT業界とゲーム業界は少し違うのですが、基本的にはレキサスに来たからこの業界、つまりIT業界に入った、というほうが近いですね。

レキサスにいらしたきっかけを教えてもらえますか?

レキサスに来たのは、常盤木氏から話を聞いて、面白そうな会社だと感じたからです。また、レキサスはオリジナル製品作りに注力したいということでしたので。私もクライアントワークではなくずっとオリジナルの製品ばかりを作っていたので、自分のノウハウが行かせるのではと思いました。

レキサスに入ってからはコトバンバン、またハロペの新しいアプリに携わっていますが、技術的に新しいことばかりやれていて、そういう意味でも満足しています。もちろん生みの苦しみはあるんですが、これからもどんどんチャレンジしていきたいですね。

これまでに携わった仕事の中で印象的だったエピソードを教えてもらえますか?

これは前述の会社に入社した頃の話ですが、入社して1週間で企画書を作るように言われ、3週間で出荷するように言われ・・・1ヶ月後には実際にパッケージ品を出荷していました。それも簡単な開発ではなく、当時Windows95のPentium 100MHzというような、処理速度が遅くてスピードが出せない動作環境で、ひとつのキャラクターが100パターンくらいあるような、メモリを食う画像を大量に高速に動かすことが用件として求められていたので、Pentium 66MHzくらいの最低スペックマシンでも20フレームは出すように開発したりとか。入社した直後の話です。

初めは丸ごとデータを転送するプログラムを書いていたんですが、処理が追いつかないので差分データだけを送るようにしたりとか。当時あまりそういうことをやっている人はいなかったですね。そんな感じで簡単な圧縮方法を自分なりに開発していました。

最初がこうでしたので、その後は入社1年目からメインプログラマとして皆に指示を出したり、また、その会社の看板ソフトで通産大臣賞を獲得したエンターテイメントソフトの最新版の改良を一手に任されたりもしました。そのあとも、重要なところには必ず置かれるような感じで、ゲーム業界での経験、経歴を重ねていきました。

ゲームの場合はモノを作って売るしかなかったので、いい製品を作って売ることに注力していました。具体的には某有名PC業者さんのゲームパックシリーズとか、全部で30本くらいのシリーズを作ったり、あと、iモード向けのiアプリを作ったりもしていましたが、いずれもとっかかりが早かったので先行者利益だけでしばらく会社が潤いました。

そこでの成功体験は自分の人生にとても大きな影響を与えていると思います。入社して5年くらいは成功体験ばかりでした。一番当たったのはiモード向けのゲームで、年間数億円単位の利益をもたらしてくれて、結果、入社時に50人くらいだった会社が100人、200人、300人になる際の原資になりました。

強烈ですね・・・これまでレキサスではどんな仕事に携わりましたか?

まずはコトバンバンですね。ゲーム業界にいた割にはUnityの開発を試作でしかやっていなかったので、製品でUnityを使ったのは初めてでしたが、時間もかけずに開発できました。また、3Dキャラクターのアニメーションをやっている人はまだレキサスにいなかったので、いい感じにまとめる調整ができて良かったと思います。

コトバンバン開発中のエピソードですが、動作が重い機種があって、それに対応するかしないかの判断が難しかったです。結局、対応機種に加えることで時間もかかってしまったのですが、反省もあり、良かったこともあり、ですね。

いずれにしても、レキサスにそういう、完全に子どもたち、教育分野をターゲットにしているソフトがこれまでなかったので、今回それを作れたのは長い目で見て良かったと思います。人に楽しみを与えるアットホームさが出ていますよね。レキサス全体の仕事の中でコトバンバンのポジションは重要だと思いますし、今後も多くのユーザーさんに使ってもらえるようにしたいです。

あとはADOC-Hです。もともと雛形があったんですが、僕的にはデザイン指向性が弱いコーディングになっていたので、僕が入ったことでデザインとプログラムの分業が最適化されたのではと思っています。あとはクライアントワークをいくつかと、ハロペの新しいスマホアプリ。これはXamarinを使ったりクラウドの新しい技術を使ったりで、産みの苦しみも味わいました。

仕事をしていると、クライアントワークの急ぎの案件なども発生するので、そういう中でソフトウェア開発リーダーとして責任を持ってやっていくのが大変でした。最初は管理的な役割でコーディングは少しでいいかと思っていたんですが、結局フルでコーディングしたり・・・そういうところがこれからの反省材料でもありますし、また、お互いのスキルを知ることもできましたし、また、僕自身も新しいスキルの領域に踏み込んだと思います。特に、クバさんがソースコードレビューをやってくれたことが大きいですね。僕はこれまで、短期間でいいものを作る、というところで強みを発揮することも多かったのですが、コードをワールドワイドに公開するということを意識したことがなかったので。OSSのような公共性の高いコードを書くにはどうしたら良いのか、とても勉強になりました。

鈴木さんはレキサスの魅力をどこに感じていますか?

メンバーの個性を大切にしてくれると思います。個人の意見を基にディスカッションするのが当たり前の雰囲気ですよね。逆に言うと、前職ではリーダー的な立場で指示することが多く、ディスカッションがあまりなかったんです。そういう意味で、レキサスはメンバーどうしでのディスカッションが多い。個々人の個性がひとつの基軸として動いている感じがします。なので、他の人との意思疎通の際、相手を尊重することも大切になってきますね。

では最後に将来の夢を教えてください。

やっぱり世界で売れるプロダクトをレキサスで、沖縄で作っていきたいです。そして、それが人にとって暖かいモノだったらいいですね。ゲーム業界でいうとソーシャルゲームやギャンブル的なソフトウェアもありますが、できればそれがコトバンバンのような、人の幸せを手助けできるようなものだったらなおさらいいですね。