- 前田俊博
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- 下門祐二
- エンジニア対談 山根×山川


大学2年次のころから起業をしたいと思うようになり、県内のさまざまな社長を訪問していく中で、比屋根に出会いました。そのとき、IT frogsの立ち上げのための学生スタッフに誘われて、イベントの企画や運営のためレキサスに出入りするようになったのが私の歩むレキサスストーリーのはじまりです。
私もなんとかIT frogs研修生に選抜され、シリコンバレー研修に参加することができました。シリコンバレーの学生は、当然のように起業を目指し、新しいサービスを生み出そうという文化を持っています。その文化に触れることで、「自分自身の可能性を信じることの重要性」を感じ、これまで以上に起業を意識するようになりましたね。
シリコンバレー研修から帰った後は、「ITを使って沖縄のために何かしたい」という強い想いは持ち続けながらも、普段の学生生活に再び戻ってしまいました。そんなとき、比屋根から「携帯電話を使って気軽にNPOへ寄付ができるサービスがあればいいなと思っているんだけど、やってみない?」という話をもらい、コレだ!と思いました。ITというツールで沖縄のために何かできないかを模索していた私は、比屋根の話にすぐに飛びつき、サービス名を『琉球AID-Stand Up!!』と名付け、その実現に向けて走り出しました。

琉球AID立ち上げのため、再びレキサスに出入りするようになったのですが、それからはまさに「壁の連続」でしたね。 そもそも国内の携帯電話キャリアでは、「携帯で寄付を行う」ということに対してすごく厳しい規定がありました。 携帯電話の公式サイトで寄付をすることに意味があると思っていた私は、最初からこの大きな壁に挑む事になりました。半年以上の交渉を繰り返した結果、「沖縄のためになるサービスを作りたい」という想いが通じ、まずは1社のキャリアで公式サイト掲載の審査を通過することができました。
審査を通過し、残すは重要な開発作業でしたが、自分自身の技術力は明らかに足らず、レキサスの技術者たちの力を借りることでどうにかサイトが完成しました。 私が6ヶ月費やしても完成しなかったものが、プロの技術者の手にかかるとたったの2週間で完成しました。その実力の差を目の当たりにしたとき、自分自身への悔しさと技術力の重要性を強く感じましたね。

琉球AIDの立ち上げに夢中になっていたら、いつの間にか卒業を迎えていました。卒業までの約2年間を琉球AIDに力を注いできた私は、IT業界とソーシャルビジネスに対してかなり興味を持つようになり、卒業後はこの2つの分野で起業したいと強く思っていました。しかし、資金力、技術力、マネージメント力のどれをとっても起業にはほど遠い状態であることは明らかでした。
その上で比屋根をはじめ役員に相談したところ、自分の状況をくみ取ってもらい、レキサスで技術力を高めながら「世界に通用するソーシャルビジネスの立ち上げ」をさせてもらうということで、入社を決意しました。

入社後の私は、何よりもまず夢への第一歩として琉球AIDを完成させたいという思いが強かったですね。琉球AIDの立ち上げまでにはやることがまだ山のように残っていたので、土日や業務外の時間を費やしてとにかく夢中でやっていました。本格的に事業を立ち上げる過程には、想像していた以上にやるべきことがあり、その全てが初めての経験です。企画書の作り方や仕様書の作成、キャリア申請、掲載NPOの募集、規約書関連、関係企業との調整、寄付金の管理方法、スケジューリング、サイト検証、デバッグ、、、とにかく周りのみなさんに積極的に聞きながら進めていきました。
比屋根や役員、社員、これまで関わった多くの人たちにさまざまなことを教わり、時には怒られ、まさに学びの日々でしたね。ホウ・レン・ソウもままならない私に、「わからないことがあったら聞いてね!」と声をかけてもらったときはとても嬉しかったです。琉球AIDの立ち上げを通して「想いをもって活動していけば、周りは応援してくれる。」ということを実感しました。

レキサスには、本気で情熱を持って新規サービスの立ち上げをアピールすれば、それを受け入れて応援してくれる環境があります。この情熱を忘れることなく、今後も新しいことにどんどん挑戦していきたいです。
一番近い目標としては、ITを使ったソーシャルビジネスを行う事業を3年後に立ち上げること。そして、沖縄から世界に通用するITサービスを創り出していければいいですね。

